2008/04/04

六角形 ・六壬神課

常光寺 観音院(日比観音院)

玉野市日比2-1-12 

開基・729-748年・行基 本尊・十一面観音・弘法大師作  材質・ヤナギカシ(長寿仙人柳 1945年

    

 

六角形の心木は会陽では、與楽山 常光寺観音院(日比観音院)のみです。六角形は供養法では説明できません

岩手県の黒石寺薬師堂
蘇民祭で授与される「コマ木と同一形状」です。
 

           妙見山 黒石寺薬師堂 蘇民祭 (岩手県水沢市黒石山内 )        

六角形は六壬神課(りくじんしんか/りくじんじんげ)を意味しております。陰陽道によるものです。

奈良・平安の時代に陰陽寮と名付けられた公的機関がありました。そこでは式占
(ちょくせん)という占いが行われていました。
これは式盤を使った種々の占いの総称ですが、『古事類苑』「方技部七」に下記のような記録があることから、六壬神課の古さが分かります。

「式占とは、六壬、太乙、雷公、遁甲の四種の占卜の総称にして、皆式盤を用いるに由りて名づくる所なり。六壬占は、年月日時、及び行年方位の干支を推し、四課、十二将、十二神を弁じて占うものなり。中古以来、太占(ふとまに)既に絶え、易占い漸く衰うるや、陰陽寮は神祇官の亀卜と並びて、専ら此の占法を用


六壬(りくじん)の歴史は大変古く、紀元前2600年頃にさかのぼります。中国の黄帝が九天玄女より伝授され、その後周の文王や、三国時代の蜀の諸葛孔明等が利用したと伝えられています。また、孔明には「六壬類苑」という著作もあったようです。
中国では六壬のことを”孔明馬上の占い”といい、三国志の中に出てくる名軍師・諸葛孔明が馬上で、手の平の上に六壬の課式盤を作って戦の趨勢を占ったという伝説が残っています。
また、平安時代には日本へ伝わっており、陰陽道の陰陽師達によって、盛んに利用されました。陰陽師達が六壬で占った占例が、現在にも数多く残されており、安倍晴明は「占事略決」という六壬の書を残しています。特に、日本では国家の大事を占うにもこの
六壬が利用されました。

片上の恵比寿宮も六角とのことです。戎宮宮内の普賢院会陽は有名であり心木の形態に注目しています。しかし、本宮山 円城寺は「六角形ニ分割」であり、樹脂付ニ分割の工夫改善 です。五角形は、会陽には有りません。供養法で説明できないものに類似行事の宮城県・無夷山箟峯寺蘇民祭があります。


寺院伝承では「ホンカシ」とされていますが、ヤナギカシ(長寿仙人柳です。「由加山で、心木の原木を採取 」との伝承が材質特定の決め手になりました.
  
西大寺観音院は牛玉所てす。牛王将に注目してください 。心木の中央部が、中空になっています.

児島郡史には、「当時は天神山西福寺医光院と称し、毎年正月十七日会陽式を修行し遠近の信徒群集して日に月に繁盛なりしか、・・・然して明治十六年に至り中途廃棄に帰したる会陽式を再興し○例に○ひ毎年陰暦正月十七日を以て其式を挙け福集円満、如意満足の法を修し航海業者の安全及諸人快楽の祈祷を執行す。」とあります。


與楽山 常光寺 観音院の歴史

日比の天神山という小山を境内地とし、小さな城郭を思わせる様な構えです。古号は天神山  西福寺 医光院です。
海を隔てて弘法大師誕生の地讃岐が望見され、天平年間行基菩薩が海上交通の要衝であった日比港の止宿寺として開創された寺です。

本堂には五間四面の内陣を配し、弘法大師作である本尊十一面観世音菩薩像(市重文)が厨子に納められ祀られています。

この本尊は鬼界ヶ島に流された僧俊寛の念持仏で配流の砌、響灘において台風に遭い船が沈みそうになった時、この観音様が風波を静めんと渦巻く海中に身を投じて難を救いました。数日後海岸に打ち上げられ、夜な夜な光り輝く観音様を村人は、寺に運んで納め祀りました。
境内にある石の祠は大変珍しい
渡唐天神が祀ってあります。

第二次大戦後中国人殉難者二十五人の死を悼み中国紅十字会会長李徳全が来臨し供養しました。その慰霊の為鎮魂の鐘が建立され毎日世界平和を祈願して鳴り響いています。

参考文献 岡山の会陽 三浦叶著 昭和60年 日本文教出版
       児島郡史 私立児島郡教育会 大正4年 岡山県児島郡役所
       高野山真言宗備前お寺めぐり 昭和63年 高野山真言宗備前宗務支所
                児島の日本一物語 角田直一 昭和46年


六角形ニ分割

本宮山 円城寺 

御津郡加茂川町円城742  

開基・715年 本尊・千手観音 材質・不明 大正15年(1926)

          picture88.jpg (1115640 バイト)

 

牛王紙には仁王経の一文である、七難即滅の文字が書かれています。岡山県史 民俗に「獲得したシンギを山門の仁王様に握らせる」とあります。円城寺の特異な仕様です。

平成7年9月9日に、円城寺会陽調査のため、円城寺ふるさと村を始めて訪問して、沼本信義先生(郷土史家・観光ボランティア)から詳細なご説明を受けました。しかし、円城寺会陽については、ご存知ありませんでした。
円城寺訪問前に住職様(福山大学勤務)からは、「円城寺会陽伝承は知らないし、分からない。」とのお手紙を戴いておりました。
岡山駅前での写真展「宝木伝説」(平成7年12月1〜29日)の、御案内をさし上げたところ、数日して「心木が見つかりました。」とのお電話を戴きました。心木発見場所は、円城寺の前にある廃屋でした。住職のお母様も「初めて心木を見ました。」と言われ、現在は円城寺に祭られております


本宮山 円城寺の歴史

古号は、本宮山正法寺です。行基の開山伝承があります。鎌倉中期に、現在地へ移転し円城寺と改称しました。現在は地蔵院、医王院を残すだけであり、昔は十余の僧坊が立ち並び門前町として非常に栄えました。今でも小規模ながら門前町のおもかげを、見受けることができます。

千手観音を安置する本堂は、弘化三年(1846)の再建です。その他、阿弥陀堂、堤婆天の社があります。
古来、「加茂の堤婆は人をとる」と の伝承があり「深夜寺域の古木に呪釘を打つと、堤婆のつかわしめ(キツネ)が相手にとりついて殺してしまう」という ものです。

 

参考文献 岡山県史 民俗 昭和58年

 

http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp/


[PR]中古車探しは、ガリバー:在庫多数、全車保証つき!