
2007/10/27
頭痛とヤナギ・三十三間堂・仏教医学におけるヤナギの事例・「アスピリン」
平成11年2月1日の日本経済新聞・春秋に、ヤナギに関心のある者にとって注目すべき記事が紹介されています。内容を確認しておきます。
「今年もインフルエンザが猛威を振るっている。老人ホームで多くの犠牲者が出たとか、幼児が死亡したという痛ましい話も伝わってくる。インフルエンザにかかると、高熱が出たり、ひどい頭痛に悩まされる。ウイルスを退治する薬はないと知りながらつい薬に頼ってしまう。こういう時に、最もポピュラーな薬は、解熱・鎮痛効果に優れたアスピリンだろう。子供は副作用の心配もあるが、最も多量に使われる大衆薬の一つになっている。米国では、一年間に二百億錠が消費されるそうだ。人体の傷ついた組織は、プロスタグランジンという物質を作り出す。この物質が痛さの信号を神経に伝える。アスピリンは、この物質を作らせないようにする働きか゛ある。
ギリシャ時代の「医学の父」といわれるヒポクラテスは鎮痛剤として柳の葉を煎じて飲ませたという。西洋柳に含まれるサリチル酸が痛みを止める。アスピリンの化学名は、アセチルサリチル酸で、サリチル酸に多少手を加えた物質である。言って見れば、アスピリンのルーツは二千年以上昔にさかのぼる。」非常に簡潔に、わかり易い記事になっています。
「ヤナギに含まれるサリチル酸が痛みを止める。」という「薬学の基礎」を理解した上で「仏教医学の世界」へご案内致します。参考文献
納豆博士の食養生 須見洋行著 1997年 岡山リビング新聞社
楊枝薬師堂 (頭痛山平癒寺)
三重県南牟婁郡紀和町楊枝
三重県南牟婁郡紀和町楊枝に楊枝薬師堂という小さなお堂があります。私は、この「楊枝という地名」に誘われてこのお堂に参詣しました。この小さなお堂が、現在の頭痛山平癒寺です。頭痛山平癒寺楊枝薬師堂の説明文には 、「仁安二年ひのと亥(1167年)後白川法皇は、この楊枝の郷に七堂伽藍八房十二院を建立なされ、法皇御直作の一刀三礼の薬師如来の御本尊を刻まれ自ら大導師となられ開眼法要あそばされました。この時より頭痛山平癒寺と号されました。
法皇御直作の御本尊は度々火災水害にも不思議にも今にのこり、ここに詣づる人はあとをたたず頭の病には特に霊現あらたかであります。昭和53年3月 楊枝薬師堂
「楊枝薬師堂由来」の説明文
楊枝薬師如来の来由は、京都三十三間堂棟木の霊地として、頭痛、平癒、病脳療活に顕著なる霊場なり。二条天皇の永暦年中の頃(814年前)先帝後白河上皇が頭痛の為、再々お苦しみでした。上皇はおんみずから、都の因幡堂にお篭りになり、平癒を祈願なさいました。或る夜、金色の御仏が現れて、「我は薬師如来である。熊野川のほとりに高さ数十丈の大楊樹あり、この楊を切り都に大伽藍を建立し、かつ我が像を彫刻し、まつれば頭痛たちどころに、癒よう」と、上皇は大変お喜びになり、早速その大楊を切らせましたが、あまりに長く大きいので、動かすことも出来ませんでした。困り果てていたところ、不思議や水中から、天女現れ出て、神力で軽々と京まで運ぶことが出来ました。「柳のおりゅう」のことです。長寛二年、大伽藍を建立しました。今にいう蓮華王院即ち三十三間堂であります。ために上皇の頭痛は平癒しましたのでを上皇は歓喜して、熊野楊枝の郷の楊の切り跡にも七堂伽藍を建立され、上皇直作の薬師如来を本尊とあがめ、仁安二年九月十一日、法皇となられ自ら大導師となって開眼法要をなされ頭痛山平癒寺と号されました。その後度々火災にあいましたが、奇跡にも本尊薬師如来は今に残り、お祭りされています。悪事災難をまぬがれ、特に頭痛、平癒、来世は極楽浄土へお導き下さる。ありがたい薬師様であります。全国各地より今なお参詣の信者はあとをたちません。
昭和50年2月
薬師堂は楊枝集落のはずれに建っており、町の文化財に指定されています。現在は楊枝薬師堂の一宇があるのみですが、本尊薬師如来は創建当時のものを伝えているとのことです。残念ながら、「紀和町史」に、「・・・本尊も昭和七年四月十日の火災で焼失した・・・」とあります 。 病の神として毎年三月十八日に祭典が行われ 、近郷近在より多数の参詣があります。
パンフレットには
頭の祈願所 彼岸入り 3月17日(日曜) 京都三十三間堂 棟木の由来で有名 首、喉、耳、目、頭痛に霊験あらたか。楊枝おりゅう 薬師祭典 餅まき 2時 頭痛山平癒寺 とあります。
この由来の重要な点は、仏教医学、そのものの説話であることです。要点を確認しておきます。
熊野にある、大楊樹とは、ドロヤナギ(ドロノキ・デロ) のことです。直径は 1.5メートルにもなります。
熊野のヤナギについては、田組正雄先生(巴川製紙所・新宮山林事務所・所長)にご指導いただきました。
ドロヤナギ(ドロノキ・デロ)
ドロヤナギの薬効(ドロノキ・ ウラジロポプラ・ホトケギ・デロ・泥柳) 学名:Populus maximowiczii葉は互生し、葉身は広楕円形でやや革質、縁は細かな鈍鋸歯があります。葉の裏は白っぽく、樹脂を分泌するため光沢があります。
小泉秀夫著『新編薬用植物学』(共立女子薬 学専門学校)では、「樹皮を煎じて解熱・利尿薬」とあります。
ドロヤナギに含まれる、サリチル酸が痛みを止めます。ドロヤナギ ドロヤナギの葉の裏面
ドロヤナギの薬効 『原色牧野和漢薬草大図鑑』
薬用部分 枝・樹皮・葉 成分 サリシン、ポプリンの配糖体、精油が含まれます。 薬効と薬理 サリシンは体内でサリゲニンと、グルコースに分解。
サリゲニンは、さらに酸化してサリチル酸となります。
このサリチル酸には多くの作用が知られています。
局所刺激作用・殺菌作用・中枢神経系の麻痺・解熱作用・血圧降下・尿酸の排泄増大・
鎮痛作用・胆汁の分泌促進。
消炎・利尿・鎮痛・解毒などの効果があるとして、
黄疸・肝炎・乳腺炎・リウマチ・高血圧・歯痛などに用いられます。
使用法 各部位を水で煎じて服用します。 シダレヤナギ・カワヤナギもサリシンを含み、ドロヤナギと同様に使用されています。
ドロヤナギに含まれる、サリチル酸が痛みを止めます。この伝説は、仏教医学の説話であることがご理解いただけたでしょうか。現在は、境内にはドロヤナギはありませんでした。あるのは、タチヤナギです。 タチヤナギにも、サリチル酸が含まれ痛みを止めます。
私は本尊・薬師如来の木の材質に注目しました。本尊はヤナギ製の薬師如来であったと推定しています。
柳のお茶
風邪の予防に柳のお茶
和歌山県の有田地方では、カワヤナギの新芽をお茶にしています。岡山県赤磐郡山陽町にも、同一の慣習が伝承されています。
風邪をひいたときに柳の皮を煎じて飲むとてきめんに効きます。柳のお茶を始終飲んでいると、風邪をひかないようになります。
柳には、サリシンがはいっており、興奮するのを抑える鎮静作用があります。
国立科学博物館研究員・丸山尚敏氏「創健」第39号より参考文献
原色牧野和漢薬草大事典 発行 北隆館 昭和63年
柳の本尊・伝承寺院
補陀落山観音院長尾寺
香川県長尾町西653 TEL:0879-52-2041
開基:天平11年(739)行基 本尊:聖観音
行基が道ばたの柳の木で聖観音像を彫り安置したのが始まりといわれています。大同年間(806〜810)、弘法大師が入唐にあたり訪れて、年頭七夜の護摩祈祷を行いました。帰国後再び来錫した大師は入唐の大願成就を感謝し、大日経一字一石の供養塔を建立したといいます。後に寺運は栄えたが、兵火に遭い堂宇を焼失。慶長年間(1596〜1614)に讃岐国守・生駒一正の援助で再興されました。その後、高松藩主松平頼重により庇護され、松平家の祈願寺となりました。葵の紋が入った香炉や、松平家の別邸である栗林公園から移築された東門が残っています。また、この寺は源義経の側室である静御前が得度した寺とも言われ、静(有心尼)の位牌が残っています。
正月2日の三味線餅つきや7日の大会陽福奪い、大鏡力餅運搬競技など、お正月の行事で知られています。姨綺郁山 長命寺
滋賀県近江八幡市長命寺町157 0748-33-0031
開基:推古天皇27(619)年 本尊:千手十一面聖観世音 三尊一躰(聖徳太子作)
昔、武内宿弥が柳の大木に「寿命長遠」の文字をみたのが寺名の由来です。
聖徳太子が柳の木で本尊を彫み、天智天皇が植えた柳が一 夜にして大樹になったとの伝承があります。岸近くから長い石段が山中へ上るが808段あるそうです。境内から琵琶湖が見下ろせます。
龍洞山 宝蔵寺岩谷堂
長野県小県郡丸子町御岳堂84
開基:承和元年(834年) 慈覚大師円仁 本尊:聖観音
比叡山の慈覚大師が信濃巡礼の折に立ち寄り、1本の柳の木の頭と胴と根元の部分から3体の観音像をお彫りになり、胴の部分で彫った観音像を、この堂の後ろにある洞窟に安置したのが始まりとされています。
頭の部分で彫った観音像を安置した寺は、同じ丸子町にある28番札所の龍福寺です。
根元の部分で彫った観音像を安置した寺は廃寺となり今は無いそうです。厄除けと眼病に霊験あり。長尾・長全寺
三重県南牟婁郡紀和町長尾1122 05979-8-1065
本尊: 薬師如来
「紀和町史」に「長全寺の本尊薬師如来は、楊枝の柳で造った。」との記述ありとの情報を神谷佳江先生より戴きました。
他に、高野山にもあります.
日本霊異記における柳
持戒の比丘、浄行を修めて、現に奇(あや)しき験力を得る縁 第26
大皇后の天皇のみ代に、百済の禅師ありき。名をば多羅常といひき。高市の郡の部内の法器の山寺に住みき。
浄行を勤修し、看病を第一とす。死すべき人も、験を蒙(かがふ)りてさらに蘇(よみがへ)る。病める者に呪するごとに奇異(あや)しきことあり。楊枝を取らむとして枝に上る時に、・・・「死すべき人も、験を蒙りてさらに蘇る。」とあるように、仏教医学におけるヤナギの効能の説明です。
死すべき人、つまり、死にそうな病人もヤナギによって蘇生するのです。 死という定義は、現在とは異なります。
ヤナギは、古代における万能薬であるばかりではなく、現代でも注目すべき薬効があるのです。参考文献
新潮日本古典集成 第67回 日本霊異記 上巻 叶V潮社 昭和59年
蓮華王院三十三間堂
楊枝浄水供・請観音法 「やなぎのお加持」
蓮華王院の本坊・妙法院・三十三間堂で、「やなぎのお加持」という法要が行われています。
多紀頴信先生(妙法院・元執事長)は、「私は学者ではないので正確なお答えは出来ません。簡単に歴史を踏まえて記します。」として下記のお手紙を戴きました。
楊枝浄水供は、平安から鎌倉時代、台密の修法・阿娑縛抄を実施しています。1275年に承澄が作った、請観音法(しょうかんのんほう)というものがあり、一般に楊枝浄水法といい、疫癘を除く修法とされています。
阿弥陀三尊の中の観音を本尊とする楊枝観音は、右手に柳の枝を持ち、左手を胸にあてる。この浄水法は、請観世音消伏毒害陀羅尼経(六字章句陀羅尼:西暦400年代中国に伝わる)に基くものです。この楊枝浄水法では、葉のついた楊枝を花瓶に挿し、歯木の楊枝を置き、器に浄水を注いで観音に授けます。歯木を噛むことは、インドでは口を清め、心身を清めると云われます。
三十三間堂は、1164年・長寛2年に創建されましたか゛、仁安の頃から浄水法が修法されていたようです。千手観音には、四十二手の中の一本に楊柳手があって病を除く功徳があり、浄水供の散杖に柳の枝を使います。楊柳観音は、西域に発生し、砂漠のオアシスに生えた柳に似た木の枝を持った姿が敦煌壁画に描かれています。水に縁のある「楊」は河柳で、「柳」はしだれ柳で、水辺の柳には、神霊が宿ると信じられていました。私の住んでいる大原の寺院では、正月の修正会には牛玉宝印を授けますが、その枝になるものは、河柳にお札をはさんでおります。
東京浅草の金龍山浅草寺で6月18日に行われている、楊枝浄水加持会も「請観音消伏毒害秘法」(しょうかんのんしょうぶくどくがいひほう)によるものです。
浄水を楊枝(柳の枝)をさした水瓶にうつし、この浄水を希望の信徒の頭上にそそぎ無病息災・悪病除去を願います。 天台宗寺院の住職で多紀頴信先生を知らない人はおられません。天台宗教学を勉強した人には、非常に解り易い説明です。真言宗全書第36巻・小野類秘鈔身に楊柳枝観音があり、付請観音経事とあります。
仏典の内容は、毘舎離国(今の東パキスタンの西隣のビハール州)で大悪病が流行した。
その時に、どうしたら病気が治ったかという逸話です。
楊柳浄水・楊枝香水・得大霊験
私は、請観音経の中の「楊柳浄水」の解析が仏教医学の最重要課題であると考えております。弘法寺修正会法則では、「楊枝香水・得大霊験」とあります。華道・生け花を趣味とされている方には、花瓶にカワヤナギ(ネコヤナギ)を挿しておくと、約1週間で根が生えてくることは周知の事実です。私はガラスの花瓶に、カワヤナギ(ネコヤナギ)を挿しました。約1週間で根が生えてきました。 そのままの状態で、6ヶ月間放置しました。
6ヶ月間放置後の写真です。花瓶の水は、6ヶ月間たっても腐りません。透明なままです。正に「楊柳浄水」です。花瓶の水が腐らずに透明なままということは、物凄い殺菌効果があるということです。この花瓶の水を、楊枝水と呼びます
起死回生の甘露水。楊枝を沾した水。後趙の石勒の子が俄かに病んだ時、仏圖澄楊枝を取って水に沾して酒ぎ、遂に蘇生したという古事
死にそうな金魚鉢に、この花瓶の水をさしたら生き返りました。薬学・生化学を研究している学生がおられたら、是非、この浄水の分析をして掲示板にてご指導いただきたいのですが。 私は、この楊枝水が古代における万能薬であったと考えます。
参考情報
『レークランドの柳の水』
英国の観光地として有名な湖水地方産のミネラル・ウオーターの名前です。この地方に観光に出かける日本人観光客の数は膨大であり、このミネラル・ウオーターを味わった人も相当数に増えているそうです。飲んでみると結構いける味とのことです。
この会社の販売担当役員によれば、『レークランドの柳の水は競争の激しいミネラル・ウオーター業界で新境地を開いた。
このサリシンを含んだ水は非常にユニークなもので、イギリスで初めて「デザイナー・ウオーター」というコンセプトを作ったと思います。ヨーロッパ以外の地域でも、こういった全く自然の水の市場が最近は急成長中であり、特にアメリカや日本などでは、『水による癒し』とも呼ばれています。
当社では年間1億リットルまで独占的に採水する許可を得ています』サリシンはアスピリンの物質で、心臓病を予防しその効果は男性で44%、女性で30%に達するとのこと。
同時に、DVTと呼ばれる血管のトラブル、つまり血栓症を防ぐ。他にサリシンは湿疹や乾癬にも有効である。
ミネラル・ウオータの瓶の手持ちというファッション性に加えて、通常の家庭では常備薬であるアスピリンの代わりにもなる。
多田野年頼様のHome Pageより
頭痛お守り・三十三間堂
京都の天台宗寺院では、現在も薬草を出している寺院があります。 薬草を出す根拠としている仏典は、「妙法蓮華経薬艸諭品第五(やくそうゆほん)」です。
三十三間堂の、楊枝浄水加持大法要の説明文に、「三十三間堂は、古来より頭痛山平癒寺と通称され、殊に頭痛封じのご利益を授ける寺として巷間の信仰を集めています。」との注目すべき記述があります。
どうして、三重県南牟婁郡紀和町楊枝にある楊枝薬師堂という小さなお堂と、三十三間堂が同一の頭痛山平癒寺という名前なのかと、素朴な疑問を持ちました。私は、この疑問の解答を得る為に、三十三間堂を訪問しました。
1、 まず、若い僧侶に「柳の棟木は、何処にあるのですか。」と質問したところ「あれは伝説です。」との返答でした。残念なことに会話は続きません。
2、 境内に、数本のシダレヤナギがありました。
3、 お守りとして、
「三十三間堂特製・頭痛お守り・300円」、「除病の霊木・柳入り・頭痛封じのお守り・500円」を販売しておりました。
シダレヤナギ
シダレヤナギの薬効
シダレヤナギは「中国からの外来種」です。中国中南部が原産で揚子江畔に多く見られます。日本には遣唐使が中国より持ち帰ったとされています。持ち帰った目的は、薬木として利用するためです。
シダレヤナギの薬効を確認しておきます。 『原色日本薬用植物図鑑』
薬用部分 枝 葉 花 根 樹皮、根皮からコルク皮を除いたもの。 成分 配糖体のサリシンを多量に含んでいる。 薬効と薬理 枝 消炎・利尿・鎮痛・去風の効果があるとして尿白濁・肝炎・黄疸に使用。
葉 清熱・利尿・解毒の効果があるとして乳腺炎・尿白濁・高血圧に使用 花 止血薬として吐血・血便・血尿などに使用。 根 利水薬・去風薬として水腫・排尿痛・黄疸・リウマチなどに使用。 樹皮、根皮からコルク皮を除いたもの 消炎・鎮痛・去風の効果があるとして黄疸・リウマチ・歯痛などに使用。 小泉秀夫著『新編 薬用植物学』(共立女子薬学専門学校)では、「内皮を煎出し罨法料、又浴湯用とし凍傷・リウマチス・ヒゼン・ニキビ・水虫を治す。内皮を煎服せば黄疸・湿疹・特に感胃の解熱利尿薬となる。葉を煎服せば解熱薬となり、洗滌せば筋骨を続き・肉を生じ・瘤を止む、又悪瘡・漆瘡を治す。汗疣に白桃葉及十薬の葱葉と共に浴湯料として有効。」とあります。
大塚敬節著『漢方と民間薬百科 』に、シダレヤナギの薬効をわかりやすく説明しています。
シダレヤナギの薬効 大塚敬節著 『漢方と民間薬百科』
シダレヤナギ 枝垂柳 (ヤナギ科)別名 イトヤナギ 柳 垂柳 薬用部位 葉 皮 枝 薬効 かぜ(感冒) 打撲(打ち身) 漆かぶれ あせも(汗疹) 火傷 腫物 魚の中毒歯痛 使用法
かぜ 枝10gを刻んで、ショウガを少し加え、 煎じて温かいうちに飲む。 打撲 生の葉をすりつぶし、小麦粉を加え、酢を少し入れてねり、痛むところにはる。 うるしかぶれ 葉を濃く煎じた汁で、たびたび洗う。 あせも 葉を塩でもんで、その汁をつける。
また、この葉とモモの葉を一緒に、ふろに入れて入浴してもきく。ドクダミを加えると、なおよい。
やけど 皮を焼いて灰にし、水でねってつける。また、枝を焼いて粉末にし、ゴマ油でねってつけてもよい。 はれもの 葉、枝ともに煎じた汁で、温罨法する。また、風呂にたてて入浴してもよい。
神経痛、リウマチなどにもよい。魚の中毒 根の皮6gを 煎じて、飲む。 歯痛 枝を刻み、煎じた汁で、うがいする。 私は、500円の「除病の霊木・柳入り・頭痛封じのお守り」を購入しました。
お守りの中の説明文には、
このお守りは、「楊枝加持」に因んで、当院の柳の枝を加持して、消伏毒害陀羅尼経一巻を収めた効験ある頭痛封じのお守りで、蓮華王院三十三間堂に伝わる独特のものであります。頭痛に悩む方は是非肌身につけて癒してください。」とあります。
私は、このお守りと同一形状のものを探しました。
水楊・カワヤナギの発見
備前福岡に、備前福岡郷土館 (瀬戸内市長船町福岡758) があります。
備前福岡郷土館は、医院を開業していた平井方策先生の医院跡を郷土資料館にしたものです。
平井方策先生のご先祖が使用していた漢方薬の中に、水楊があります。水楊とは、カワヤナギのことです。
カワヤナギ
カワヤナギの薬効を確認しておきます。 『原色牧野和漢薬草大図鑑』
薬用部分 樹皮 根 葉 成分 配糖体のサリシンのほか、サリチル酸、タンニンなどが含まれます。 薬効と薬理 タンニンを含み、収斂、解毒、利尿などの作用があります。
また、サリチル酸類による殺菌作用等もあります。枝 消炎・利尿・鎮痛・去風の効果があるとして肝炎・黄疸に使用。
葉 清熱・利尿・解毒の効果があるとして乳腺炎・尿白濁・高血症に使用 花 止血作用があるとして吐血・血便・血尿などに使用。 根 利尿・去風薬として水腫・排尿痛・黄疸・リウマチなどに使用。 樹皮、根皮からコルク皮を除いたもの 消炎・鎮痛・去風の効果があるとして黄疸・リウマチなどに使用。 ネコヤナギ・タチヤナギも薬効は同様です。
小泉秀夫著『新編薬用植物学』(共立女子薬学専門学校)では、カワヤナギの薬効は生薬を煎服せば、「感胃の収斂性解熱剤又解熱性利尿薬となり、苦味健胃薬となる。収斂薬として助膜炎・骨膜炎・腫物・打撲等に煎罨法剤とし又浴湯用とす。」とあります。
「内用には、1回1〜4g、外用には、10倍煎液とす。楊皮を主とし葉亜是。」
中国名の水楊とは、カワヤナギ、ネコヤナギのことです。古名はユヤナギです。間違った文献が非常に多いので注意が必要です。
ネコヤナギ・タチヤナギも薬効は同様です。私は、「代表的な漢方薬の中に、カワヤナギがありますよ。」と平井先生に現物を見せて説明しました。平井先生は、私の指摘で初めて、先祖が治療にカワヤナギを使用していたことにきずかれました。明治から大正、或いは戦前まで使用されてい ました。
この水楊の分量と三十三間堂のお守りの分量が、ほぼ同一量です。つまり、このお守りは、加持されたシダレヤナギであり、信者は煎じて飲んでいたものです。シダレヤナギの薬効から、当然頭痛は治ります。
古来より頭痛山平癒寺と称されていた理由は、正にこの柳のお守りにあったのです。「頭痛に悩む方は是非肌身につけて癒してください。」とあるのは、常備薬にして下さいの意味です。参考文献
原色日本薬用植物図鑑 発行 保育社
共立薬科大学の前身、共立薬科女子専門学校・薬用植物学のガリ版刷教科書
1・土瓶・ホーロ鍋・耐熱ガラス・ステンレス鍋を使うのが好ましい
※鉄・銅・アルミニウムは出来るだけ避ける
2・1日量をバラで入れ500ml〜800mlの水で煎じる
※煎じる時間は薬草によるが短いもので5分、普通は30分ほど
3・火加減は沸騰後、トロ火にし、煎じ汁が減りすぎたら湯を注ぎ足す
※煎じ終われば必ず熱いうちに茶漉しなどでカスを取り除く
4・これを1日分として数回に分けて食間温めて服用する。
三十三間堂棟木の由来
三重県南牟婁郡紀和町楊枝にある楊枝薬師堂、この柳にまつわる伝説が京都の三十三間堂に伝えられています。今日でも、世人に親しまれている「三十三間堂棟木の由来」と言う浄瑠璃です。正しくは外題を「三十三間堂平太郎縁起・祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)」と言われます。竹本座の若竹笛躬と中邑阿契の合作で、宝暦10年(1760)が初演です。義太夫や歌舞伎で有名なところは、三十三間堂建立の際に棟木になった柳は、その精が熊野の山中で、平太郎の恋女房となって緑丸を生み、いよいよ棟木となって積み出される時、母子が切々として別れを惜しむ場面です。
しかし、私が注目するのは1760年以前の伝承です。この浄瑠璃は、後白河法皇(1127〜1192)や源平時代、熊野との関係等々、「山州名跡志」の「因幡堂縁起」等に取材していると言われています。特にこの物語の発端に、後白河法皇が頭痛を悩まれた時、夢のお告げに、「法皇はその前身が蓮花坊という修行者で、熊野に髑髏を残し、その頭骨を貫いて柳の大木が生えたために脳病が去らないのだ」とあったので、その柳の大木を引き抜いて新造の千体像の棟木とされたという伝説があります。私は、1760年以前の 伝承調査のため、「山州名跡志」の「因幡堂縁起」の文献を捜していますが岡山では入手できません。参考文献
蓮華王院 三十三間堂 発行 平成4年5月 蓮華王院 三十三間堂 妙法院門跡
古寺巡礼 京都 妙法院三十三間堂 発行 昭和52年 淡交社
吉備の国・岡山への伝承私が注目するのは1760年以前の「三十三間堂棟木の由来」の伝承です。「山州名跡志」の「因幡堂縁起」の内容が岡山県では、下記のように変化しています。
1760年以前、1681年〜1752年に書かれた「吉備前鑑 下」の児島郡古今物語には、
「或説吉備昔物語に曰、白河法皇御宇に当りて御持病御頭痛有、此の病は前生白骨の納る所悪敷が故に頭之内へ柳の根宿り、大風大雨に必御脳発る。或占に尋しかば、紀伊の国牟婁郡熊野浦に長く延たる柳有、是を三十三間堂の棟木に上させたまはば、御持病平癒たるべしと申せしかば、此の木奉行 大和国宇多郡 三浦平助と申者、此の柳を難波の浦より引上げさせ、棟木に上しかば、三十二度迄は落ち 怪我する者数十人、又寄合其の中の一人を撰み、児の舞是あらば棟木上り侍るべしと申ししかば、三条の中将の御子を撰み出し、児の舞有いかば棟木は成就し侍る。此の時日本国中より作の面集る普請成就の後、夫々へ戻せし中にも鬼面一つ右児隠し、常に懐中し侍るとかや。又其の後都に人失る事数を不知。博士占申て曰、三条の中将の息三条宇喜多少将の業也。急ぎうつろの舟にのせ流し玉はば、都は静に成べしと申ししかば、児をば大物の浦より備前の児島へ流し玉はせけるに、其の船宇藤木浜に着しける。抑、右の児の元祖は、人皇75代崇徳院の御宇大治丁未年の春、百済国より姫宮胎中に王子を孕み、うつろ舟にて備前の児島に至。此の所を響ノ浦と申也。琴を彈じまします。是に依て此の所を琴浦とは云へり。島人怪みて害せんとす。姫君歌に日の本の人の心は情なし、我れ唐国の人をこそ恋へ此の歌都へ聞へ、彼姫を上せられ、三条の中将に嫁せ玉ふ。加茂の辺にて平産あり。男子誕生す。故名をば三条宇喜多少将とは申也。日本三宇、宇喜多の始り是也。児を宇藤木村より瑜伽寺に送りしかば、彼児右の面を出し、それを着ければ忽長さ一丈に余り飛て出入を取喰こと不少。始て飽浦より喰始め瑜伽寺は不及言、村々人を取る事数を不知。児島及絶人児島に鬼住とは是なり。鬼にあらず件の鬼面也。此の事都へ聞へ討手を下さる折節、三十三間堂敷地に蓮泉聖と申す修行者あり、討手を乞ひ児島に下る。・・・」
楊枝供養会
1/14 薬師寺、唐招提寺、秋篠寺
1/15 蓮華王院(三十三間堂柳の加持、弓引始め)、曼殊院、寂光院、三千院、来迎院、今宮神社、等持院、本能寺
1/16 平安神宮、永観堂、南禅寺